小学生のころ
国語の時間に本を読まされることがあります。
そのときに「上手だねぇ」と先生に褒められました。
今考えたら、それが、そもそもの原点なのかもしれません。
高校生のころ
当時は深夜ラジオが大全盛の時代。
もちろん私も毎日深夜ラジオを聞いていました。
ラジオのパーソナリティとリスナーは距離の近いものです。
そのラジオを聞きながら
「あ~私もラジオ側に入って、見ず知らずにたくさんの人と
つながりたいなぁ」と思い、ラジオ側にいくためにはどうすれば
いいかを調べ、「アナウンサー」を目指すことに。
神戸のアナウンス学校で勉強を開始。
社会人になって
神戸のアナウンス(タレント)事務所に所属。
司会やちょっとしたアナウンス、館内DJブースにて
パーソナリティなどを経験。
その後、もっと本格的に勉強したいと思い
大阪へ引越し。
大阪のアナウンス学校で基本から勉強し直し。
20代のころ
アナウンス事務所に所属し、アナウンス業を継続する事も
できたが、事務所のなかでも競争があり、
また「上手い」から仕事がくる、仕事をもらえる、というわけでもない。
上手さに自信があり、まだ若かった私には、
この理屈がよくのみこめず、事務所に所属することはやめる事に。
(今なら、この理屈はよくわかります。
どんな仕事でも「楽しく一緒に働ける人、一緒に働きたい」
と思える人を選びますよね)
そこで平日は事務職をしながら
土日に結婚式司会を中心に活動
30代のころ
「やはりもっと話す仕事がしたい」と思うようになる。
そのころパソコンインストラクターという職業が注目されるようになる。
「これだ」と思い、勉強をはじめインストラクターとしての職業を始める。
その後、「説明うまいですねぇ」と言われ、「司会をやったり、アナウンスをやったり話の基礎を勉強していますから」と説明すると、みな納得され、
「じゃぁこういう仕事もお願いできますか?」と仕事の幅が広がっていく。
はじまりはPCインストラクターからだったものが
プレゼンテーションテクニックや
インストラクター養成講座の講師
ある教育スクールでは講師100名新規募集するにあたり、
その人たちへの研修を担当したり。
活動場所も大学・自治体・企業研修などさまざまな人を対象に講習を行なう。
40代のころ
人生80年と思えば、人生の折り返し地点
やり残している事はないか、と考えると
「ナレーションの仕事がしたい」と思うように。
改めて活動を開始。
主に在宅でのナレーション録音を請け負うようになる。
そのころフェーム朗読教室に出会い、
元ラジオ大阪アナウンサー高橋征二、渡辺剛夫両氏に師事することとなる。
これから
ずっと「声を出すこと」「話すこと」を軸に働いてきました。
最近思う事は「声を出すこと」の大切さです。
声を出すことは元気のもとです。
声をしっかりした声を出せば、自分に自信がつく。
声で表現することで、自己解放や自由になれる。
今までは、私自身がこれらを実感してきましたが、
今後は、みなさんがこれらを実感できるようにサポートできればと
思っています。
(2016/10/4記)